「やらまいかミュージックフェスinはままつ」への思い。

2017年10月8日当時バンド活動もしていた私達は
「第11回やらまいかミュージックフェスin浜松」のキタラステージで演奏を聴いていました。流石にやらフェスのメインステージのトリを演奏するバンドです。
「クオリティが高い!うちのバンドなどまだまだ足元にも及ばない」。と言うのが感想でした。
「こんなに素晴らしいステージ、沢山のオーディエンスの前で演奏出来たら嬉しいだろうな」と
敵わぬ夢を見ながら羨望の眼差しで見ていました。

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2018年4月 第12回やらフェスのエントリーが始まりました。メンバーと話し合い我々もエントリーする事になりました。しかし強豪揃いです。ダメ元と言う気持ちでのエントリーでした。


5月下旬、我が家ではとても悲しい事が起きてしまいました。16年一緒に生活した愛猫メイ君が虹の橋を渡ってしまったのです。我々の悲しみは深く食事は愚か睡眠さえ取れない状態です。演奏活動など出来る精神状態ではありません。毎日祭壇の前で泣いて過ごす日々でした。

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6月、一部の人の心無い嫌がらせや誹謗中傷などの「負の連鎖」が続き精神的に限界でした。バンドメンバーとの確執もありバンドを脱退しようと決めました。
夢だったのか、その夜とても不思議な体験をしたのです。
気が付くとメイ君がベッドの隅に座っているのです。彼が言いました。「バンド辞めちゃうのか?それは僕が居なくて悲しいからなのか?だとしたら僕は悲しい。お父さんの夢が叶う様に僕も頑張るからお父さんも頑張ってほしい。約束して。」そんな話をした後フッと消えてしまいました。
そしてその夜 あむ  の所にも彼が寄りました。
「今、お父さんと話して来たよ。お母さんも頑張ってね。それから毎日ご飯のお供えありがとう。」と言って消えたそうです。
これは夢だったのでしょうか。

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7月。嬉しい知らせが来ました。
やらフェス出演内定通知です。悲しみのあまりエントリーした事さえ忘れていました。と同時に彼が言った「夢が叶う」とはこの事だったのかと理解し彼の祭壇前で出演内定を報告しながら ありがとうと何度も言いながら泣きました。
彼が元気を無くした私達をやらフェスに連れて行ってくれるのです。その後、必死になって練習しました。

10月13日やらフェス本番です。
私達2人は彼の名前の入った缶バッチを付けて彼と一緒にステージに立ち演奏しました。
1年前夢見た「キタラ」ステージです。
とても幸せな時間でした。

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11月18日やらフェス「感謝の集い」が開催されました。感謝の気持ちを込めて、集いに参加させて頂きました。宴もたけなわ、抽選会がはじまりました。
当選した人達は、赤や青など綺麗にラッピングされた袋入りの景品を頂いています。
最後の2つ目で私達が当選しました。渡された袋を見て驚き、そしてしっかりと抱きしめました。私達だけがネコのラッピングだったのです。彼が「お父さんお母さん頑張ったニャ」と言ってくれた気がします。

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第12回やらフェスは私達にとって忘れられないイベントになりました。


2019年1月諸々な事情により このバンドを脱退する事になり、私達2人のユニット「あむ」で再出発を開始しました。目標は「やらフェスで演奏出来るユニットになる事。」としました。


そして、2019年10月20日
私達は「第13回やらまいかミュージックフェス」に参加出来る事になりました。かじまちヤマハミュージックホールで演奏します。勿論愛猫メイ君の名前の入った缶バッチを付けて演奏します。
皆様の応援宜しくお願い致します。

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